1. HOME
  2. COLUMN
  3. LIFESTYLE , WELLNESS
  4. 背番号33を背負い共に甲子園を目指す  マネージャーから選手へと転向した桑本輝良の高校野球生活

背番号33を背負い共に甲子園を目指す  マネージャーから選手へと転向した桑本輝良の高校野球生活

前回の金城選手に引き続き、今回も高校で男子野球部に所属していた選手にインタビューをしました。

今回登場していただくのは桑本輝良さんです

【桑本輝良(くわもときら)】2000年3月21日生まれ。大阪府出身。
小学4年生で少年野球を始め、中学、高校、さらには社会人クラブチームで男子と共にプレーした経験があります。アマチュアからプロまで野球熱の高い地元大阪で、様々な形での野球経験を持ち、現在も働きながら大阪の女子硬式野球チーム履正社RECTOVENUSでプレーしています。

女子硬式野球部が全国に増えている中、高校野球で男子硬式野球部に所属している女子部員も多く、毎年ニュースになっています。

本来、高校生のスポーツは男女で別れていることが一般的ですが、女子野球部は全国におよそ40校と男子の100分の1程度しかなく、大会に出場することができないと分かった上で男子野球部を選択している女子選手も少なくはありません。

男子と同じ環境で練習・練習試合を行い、共に甲子園を目指しているのに大会に出場することができない女子選手たちの思いや覚悟、男子野球部を選択した経緯などについてインタビューしていきます。

桑本選手、最初はマネージャーとして野球部に入ったそうなんです。

マネージャーから選手へ転向したって珍しいですよね!

ということで!!

今回はそんな珍しい経歴をもつ桑本選手に

野球を始めたきっかけは?

マネージャーから選手へ転向したきっかけと当時の思いは?

女子野球への関わり方についてといったテーマでインタビューさせていただきました。

皆さんぜひ最後までご覧ください。

野球熱の高い地元大阪で野球に打ち込んだ幼少期

── 野球を始めたきっかけはなんですか?

桑本選手:小学校4年生の時に弟の試合を見に行ったことがあって、その時に楽しそうだな〜って思ったことがきっかけです。

── 他に女子選手はいましたか?

桑本選手:違う学年に何人かいて、それで入りやすかったっていうのもあります。

── 中学はどうでしたか?

桑本選手:中学はテニス部に入りながら、外のクラブチームで野球続けていました。

── 高校で野球やることは決めてたいましたか?

桑本選手:最初は決めていました。京都両洋高校に行くつもりでした。

── でも高校は男子硬式野球部に入部されましたよね?

桑本選手:そうです。両洋行くって決めた時に親に高校で野球やること反対されてしまって、だったらもう中学で野球やめようって区切りつけていました。
だから、男子硬式野球部に入るつもりも最初は全くなかったんです。

── 野球部に入れるところで高校決めたわけではなかったのですね。

桑本選手:受験の段階では高校で野球に関わる気もなかったので、枚方なぎさ高校に野球部があるかどうかも知らなかったですし、他の部活に入ろうとも思っていなかったです。

“負けず嫌い”でマネージャーから選手へ転向?!

── 男子野球部に入ったきっかけはなんですか?

桑本選手:高校のルールで1年生は絶対に部活動体験に行かないといけなくて、その時初めて野球部があることを知りました。
どうせ行くんだったら野球部行こうと思って、マネージャーとして体験したのがきっかけです。
すごく楽しくて、やっぱり野球に携わりたいなと思いました。だから最初はマネージャーからのスタートなんです。

── マネージャーだけじゃ物足りない部分もありましたか?

桑本選手:練習やトレーニングは参加してました。

── 選手に転向したのはいつから?

桑本選手:1年生の秋か冬くらいです。

── 「これ!」っていう出来事があったのですか?

桑本選手:当時顧問の先生がノックを1人でやっていたのですが、腰を痛めて練習に参加できなくなってしまって、その時に野球経験者ということでノックを任されたんです。
いざやってみるとブランクもあったから全然飛ばせなくて、同級生から冗談っぽい感じで「全然飛ばんやん(笑)」みたいなことを言われて、そっからもっと飛ばしたい!って思うようになって、トレーニングメニューに混ざるようになりました。
混ざってみたらやっぱり楽しいし、選手としてやりたいという思いがどんどん強くなって、それからです。

── 周りに女子選手はいましたか?

桑本選手:そもそも知らなかったというか、女子が男子に混ざってやるっていうのが全く頭にありませんでした。
そしたらたまたまTwitterで大阪の男子硬式野球部に所属している女子選手の記事を目にして、その時に初めて「女子選手ってありなんや」ってことに気付きました。
そこから周りの選手達にも相談して選手としてやることを決めた感じです。

── 選手に相談してたと言っていましたが、周りからの反対はなかったですか?

桑本選手:同級生も先輩もみんな「一緒にやろーぜ!」みたいな感じで暖かく迎えてくれたので、決断を後押しされた形でした。

── 選手として男子と一緒に練習していく中でキツかったメニューはありますか?

桑本選手:ランニングのキツイメニューの時はチーム戦で勝負することが多かったんですが、その時に足を引っ張ってしまうのが申し訳なくて、それが気持ち的にキツかったです。

── やめたいと思うことはありませんでしたか?

桑本選手:部活をやめたいって思ったことはないです。
ただ、大会が終わってみんなモチベーションが下がっていた時に、他の男子部員が練習を適当にやってサボっているように見えたことがありました。
私としては、「試合に出れるのになんでサボっているの?」としか思えなくて、その時にみんなの気持ちも考えずに強く言っちゃってみんなとぶつかったことがあります。

それで練習も気まずくなってしまって。

「マネージャーに戻った方がええんかな」と思って、マネージャーや同級生に相談したことはありました。でも最終的にはみんなと仲直りできて最後までプレーヤーとしてできたので良かったです。

── 選手としてチームに入ってから3年間過ごしていく中で、周りからの反応や態度の変化はありましたか?

桑本選手:やはり最初は女子ってことで下に見てくる人はいました。
でも自分の中で選手としてやるなら絶対に手を抜かないでやろうって決めてやっていたから、最終的には認められてみんなと対等な関係になれたと思っています。

── 女性1人で大変なことは多かったですか?

桑本選手:いや、それはそんなになかったです。

顧問の先生も周りも平等に扱ってくれてたので、プレーをしている面で大変だなと思ったことはなかったです。
あと女子マネージャーとも仲が良かったし、他の部員もいろいろ気を使ってくれたりしていたので、女子1人で大変だなって思ったことはほとんどありません。

── 高校野球3年間のなかで、一番の思い出はなんですか?

桑本選手:高校3年生の時の夏の大会です。

最後の夏の大会ではわたしがシートノックを打つことが決まっていて、夏の大会ではみんなの良いプレーを引き出せるようなノックを打ってチームの勝利に貢献しようって思っていました。
もちろん女子が公式戦に出場できないことは分かっていたし、背番号ももらえないと思っていましたが、全員の背番号が発表された後に部員達からサプライズで背番号をもらったんです。

── 何番をもらったんですか?

桑本選手:33番です。

── どんな意味が?

桑本選手:当時の部員数が全員合わせて33人だったんですが、部員のみんなから「33人分の気持ちを背負って欲しい」と言われて、それで”33”の背番号をもらいました。

本当に嬉しかったし今でも忘れられない思い出です。
その後にみんなからメッセージもらって栄光の架け橋を歌ったんですが、もう涙腺が崩壊しました…

── では大会当日は背番号を付けてノッカーとして入ったということですよね?

桑本選手:そうです。ノッカーという立場でしたけど、背番号を付けてグランドに立つことができたのは、本当に良い経験ができました。

── 女子選手はベンチにも入れないという仕組みについてどう思いますか?

桑本選手:どのスポーツも男女で分かれているのが普通だと思うので、男子の公式戦に女子が出場できないのは仕方ないことだとは思っています。

ただ、大会のグランド整備でトンボ持っていこうとした時に、審判さんに止められたことがあって。
ユニフォームも着ていたのに女子は整備すら参加できないんだって不思議に思ったことはありました。

高校卒業後は一度は野球から離れ、新たに選んだ世界は女子野球

── 高校卒業後に女子野球の道に進もうと思ったきっかけは?

桑本選手:高校野球でやり切ったと思っていたので、高校を卒業してからはしばらく野球から離れていました。でも大阪ウィングという男子のクラブチームで練習生として短期間活動する機会があったんですが、その時にやっぱり野球がやりたい、高校では試合に出ることができなかったし、それまで女子野球に関わったのが高校の時の丹波連合だけだったので、女子野球にきちんと挑戦したいという気持ちから女子野球の道を進みました。

そんな時に出会ったチームが履正社RECTO VENUSでした。
野球に打ち込める環境が備わっていて、マドンナJAPANのメンバーもたくさんいてレベルがものすごく高いチームだったので、ここで野球がやりたいと思いました。

── 今後はどんな風に女子野球に関わっていきたいですか?

桑本選手:プレーヤーとしては挑戦できる限りは高いレベルを目指して挑戦していきたいなと思っています。その中で、野球、女子野球の普及・発展に貢献していきたいなと思っています。

将来的には海外に進出して幅広く野球を広める活動をしていきたいとも考えています。

もちろん日本でも活動したいけど、世界の野球を知らない子供達に野球の良さを伝えられたらなと思っています。

桑本選手は何度も野球をやめることを考えていたようですが、今では野球の魅力を拡める立場になりたいそうです。

選手としては1年ちょっとのブランクがあったにも関わらず、男子野球部の中でマネージャーから選手へ転向するということは相当な覚悟が必要だったと思います。

「女子が野球をやりたいなら女子野球部のある学校に行けば良いのでは?」と思う方もいるかもしれませんが、全員が全員そういった選択をとることができないのが現状です。

「男子野球部で活動している女子選手もいる」という事実を多くの人に知ってもらうことによって、進路で悩んでいる女子選手たちを後押しすることができると思います。

この記事によって、桑本選手が感じたように「こんな選択肢もあるのか!」と気付く女子選手が1人でもいれば嬉しいです。

関連記事

vivinaru

ヴィヴィナル

vivinaruとは?

vivinaru(ヴィヴィナル)は、スポーツをしているしていないにかかわらず、全ての女性の人生の彩りを豊かにする情報を発信する女子スポーツメディアサイトです。「ウェルネス」「ライフスタイル」「トレーニング」「スポーツコラム」「イベント」など多彩な情報を発信していきます。