【高知編】6府県で女子野球を経験した久保夏葵が各地で感じたこと
岩手県出身の私は、当時県内に女子野球部を持つ高校がなかったことから高知県の室戸高校に進学しました。その後は京都府・愛知県で女子プロ野球選手として活動、兵庫県で女子クラブチームに所属した後、昨年からは埼玉県の平成国際大学で活動しています。
今回は高校3年間を過ごし、初めての“女子野球”を経験した高知県にフォーカスして書いていきたいと思います。
〜2015 | 〜15歳 | 中学校まで | 岩手県 |
2015 | 15歳 | 室戸高校 女子硬式野球部 | 高知県 |
2018 | 18歳 | 女子プロ野球 育成球団レイア | 京都府 |
2019 | 19歳 | 女子プロ野球 愛知ディオーネ | 愛知県 |
2020 | 20歳 | 兵庫ブルーサンダース | 兵庫県 |
2021〜 | 21歳〜 | 平成国際大学 女子硬式野球部 | 埼玉県 |
中学生の頃に女子プロ野球の存在を知り、それ以降は「女子プロ野球選手になる」ことを目標としていました。当時、岩手県の高校には女子硬式野球部が無かったため、県外の高校へ進学することを決意しました。
いくつかの高校へ体験に行った中で室戸高校への進学を決めたのは、ある先輩との出会いがきっかけでした。
私が体験に行った時の室戸高校は人数も少なく、とても暑い中での練習だったことを覚えています。そんな中、休憩時間中も熱心に練習をしている1人の先輩がいました。
「この先輩についていきたい」
この思いが室戸高校への入学を決めた1番の理由でした。
実際に入学し、自主練習を一緒にしたり、野球について語りあったりと、この先輩からはたくさんのことを学ばせていただきました。野球だけにとどまらず、勉強面でも常に努力をされている先輩の姿を見て、私も「もっと努力しなければ勝てない」と強く感じさせられました。この時こう感じたからこそ、女子プロ野球の夢を叶えることができ、現在までの自分の成長に繋がっていると思います。
そして、当時監督を務めていた西内先生(現高知中央高校監督)との出会いも、私自身の人生を変えるものでした。西内先生には身体の使い方や練習方法、考え方の部分まで多くのことを指導していただきました。「女子プロ野球選手になる」という目標を実現することができたのは西内先生の指導があったからこそだと思います。
また、中学まで男子に混ざってプレーしていたため、高校で初めて女子選手だけのチームで野球をし、ギャップを感じることもありました。
まず第一に、「野球が好き」という気持ちを前面に出して、楽しんでプレーするということがあげられます。もちろん、中学までの野球も楽しかったですが、「楽しい」「嬉しい」といった感情はあまり表には出しませんでした。一方、女子野球の場合は試合中も練習中も笑顔が絶えず、心の底から楽しんでいることが見ている人にも伝わります。周りのそんな姿を見て、私自身もそのような気持ちを前面に出して良いのだと気づかされました。
そして初めて全国大会に参加したときには、全国に女子選手がたくさんいることを実感できました。同世代で頑張っている女子選手を知ることができて嬉しい気持ちの反面、もっと頑張らなければとさらに気持ちが入りました。
もちろん良いことばかりではなく、女子選手だけで行うことによる問題に当時は頭を抱えることもありましたが、現在では良い経験だったと思えることがほとんどのように思います。
当時は全国的にも女子硬式野球部がある高校は少なく、室戸高校には全国から女子選手が集まっていました。そのため、これまで一緒に野球をしたことがなかった選手、また、女子野球の世界に飛び込まなければ出会うことがなかった指導者の方との出会いもありました。
高校時代の選手や指導者とは今でも繋がっています。高校進学の際に女子野球部を求めて親元を離れることは覚悟がいることでしたが、“女子野球”の力でこのような繋がりができたことは嬉しく、ありがたいことだと感じています。
次回は、レイア時代を過ごした京都府について書かせていただきたいと思います。